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  • 執筆者の写真Yohei Suzuki

アメリカの“リアル”を初体験(EP.1)

更新日:2021年9月3日

2017年にはじめて行ったNYやフィラデルフィアでの体験をもう一度振り返ってみる。

今から4年前の2017年は、まだ大学生であったため、今の自分とは少し違う気がしていて、何をして具体的にどのように感じたかについて、捉え方も大きく変わっているだろう。だが、その2017年のアメリカ行きは、私の人生のなかでインパクトのある経験であったのでここに記したい。


8歳くらい幼い時に観光で行ったハワイ、16歳の時に行ったオーストラリアへのホームステイ。そうした海外への旅行が、いかにうすっぺらい文化の表面を舐めるような体験であったことを痛いほど痛感した。



ひとりでの長時間フライトは拷問

このころ大学の試験があった関係で、一人でアメリカに行く必要があった。米国内の空港での経由もしたため、16時間はかかったかもしれない。苦しかったことは、長時間の飛行機と誰も助けてくれないというメンタル的なプレッシャーがあった。


窓側に座ってしまってあまり、トイレに行く際に隣に声を掛けるのも億劫であるし、エコノミークラスは言うまでもなく、かなりの狭さだ。固い椅子に10時間も肩を窄めて座ることはあまり”楽しい”ことではない。飛行機での旅行は楽しいというイメージであったが、ここで海外旅行のイメージは大きく変わってしまった。また、英語の文化に肩に浸かるほど、そこまで触れてきたことがなかったため、目に入る看板や、受け取る入国審査の記入用紙などすべてが英語で、圧倒されてしまったことは今でも覚えている。経由地での飛行機の乗り換えやゲートの移動などはとても恐怖であったことは今でも忘れていない。



着席地獄のおわり

アメリカに到着後、迎えにきてくれた妻と義理の姉。到着にホッとしたものの、長時間のフライトと風邪のひき始めが重なり、耳抜きができず、聞こえる音はまるで海底にいるかのようであった。そして、高速道路は路面整備が日本のようにされてなく、ガタガタで、スピードも日本と比べてもかなり速い。コンクリートの穴にタイヤがハイスピードにぶつかるたびになんどもお尻が空中に浮いたことを覚えている。


成田空港を出発し、目的地である妻の家にようやく到着することができた。はじめて入る家を”我が家”と感じた安堵感をいまでも覚えている。東京の練馬からフィラデルフィのフィッシュタウンまで約20時間。私の小さなころから頭のなかで描いていた”アメリカ”に行くのはそう簡単ではなかった。


肉体的な疲労だけでなく精神的な疲労もあったのだが、まず襲いかかってきたものは時差ぼけであった。横になった瞬間に記憶はなくなった。まるでコンセントをいきなり抜かれたテレビのようだ。


翌朝につづく。。

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